稽古日誌

剣道の上達法 魚をもらわず釣り方を教わることとよく似ている

これは中学校の時の恩師の話なのですが。

 

 

どうも、ちょんです。

 

 

小学校から剣道を始めたわたし。いま思えば、小学生の時は楽しく剣道をしていました。聞いたところによると小学生の時の習い事が続かない理由の第一位は「楽しくないから」だそうです。まずは、楽しく。悔しさを覚えてから勝ち方を学ぶ。それでいいんだと思います。

 

 

中学生からは雰囲気が変わりまして。中学校の先生は、剣道の在り方で恩師だと思っている方なんですけど、とにかく寡黙な人でした。わたしの中学校は朝練習があり、先生は必ず面を着けてくださいました。

 

で、生徒は面を着けた順番に先生に地稽古をお願いできる、という仕組みで、まずそこでやる気が問われます。朝練の時間は30分。ざっと部員は15人くらいいて5人くらいしか出来ないのです。

 

 

で、稽古をお願いしても大変。先生は大変寡黙な方で、がっちりと指導をしてもらったことは記憶にないくらいで、褒められたことも記憶にないくらいです。その代わり、これでもか、というくらい部員の欠点を何度でも打ち込むんですね。

 

 

面を打つタイミングがわかってない子には出小手と返し胴。相手の出方ばかりをうかがっている子には攻め込んで面、と相手に応じてこんなに剣道が変わるのを見たことがないくらいです。

 

 

なので、生徒は嫌でも出小手を喰らわないためにはどうすれば良いだろう、と考えるんですね。わたしは、考え方の基礎は中学校の時に教わったと思っていて、それは社会人として仕事をするときにも活かされているな、と思っています。

 

 

そして社会人になりました。誰かにしっかり教えてもらえるのは学生の時までで、ここから先は自分で課題を見つけて、その課題に取り組んで修正して…を繰り返せないと剣道は面白くありません。少なくとも表面上で楽しそうな要素はないですからね。

 

これてタイトルのことと一緒だと思っていて。というのも、この言葉はその中学の恩師の教師に貼ってあったのを見たんです。「魚はもらわず、釣り方を教われ」と。

 

 

旅人に魚を与えることで空腹を満たしてあげることは優しさなのか。旅人にずーーーっと魚を無条件で上げ続けることが出来ればそれも優しさだと思います。でも、現実はそうはいかない。

 

 

ならば、釣り方を教えてあげる。そうすれば、旅人が1人で旅を続けても、空腹を凌ぐことは出来る。釣り方を教えることの方がだいぶ手間だと思うけど、真の優しさとはそういうことなのかな、と思っています。

 

 

前回の話のように、わたしがPDCAサイクルをしっかり循環させているのかと言えば、まだまだです。でも、意識できないと辛いです。

 

 

社会人になって指摘されることがめっきり減りました。剣道が正しくなるためには自分で考えないといけない、ということなのだと思っています。これが出来ないと剣道を辞めてしまう方は多いのかもしれません。

 

 

そういう意味では、剣道に限界が来るときとは、自問自答ができなくなったときなのかもしれません。年配の方の剣道がすごい理由とは、何万回とPDCAサイクルを循環させることが出来たから、自然と剣道を学び続けていた。

 

 

これが答えだと思っています。