稽古日誌

剣道と仕事と木鶏…木鶏?

木のニワトリとはなんぞや?

 

 

どうも、ちょんです。

 

 

剣道をしていると知らない言葉を聞く機会が多いので面白いですね。今月の剣道時代、2018年2月号の私の「好きな言葉」のコーナーに「木鶏」という言葉がありました。

 

 

「木鶏」とは、その場にいるだけで存在感を放つ、徳と威厳に満ち溢れた存在を指すようです。木彫りの仏像のニワトリバージョンですね。

 

 

調べたところ、「老子」の弟子のような存在にあたる人に「荘子」がいて、その荘子が書いた本に「荘子」や「列子」という名前の本があります。その本に木鶏の話が出ています。がたくさんついててややこしいのですが、子には先生という意味があるそうです。

 

こんな話です。

故事では紀悄子という鶏を育てる名人が登場し、王からの下問に答える形式で最強のについて説明する。

紀悄子に鶏を預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、 『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答える。

更に10日ほど経過して再度王が下問すると 『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』  と答える。

更に10日経過したが、 『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答える。

さらに10日経過して王が下問すると 『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』 と答えた。

上記の故事で荘子は道に則した人物の隠喩として木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしている。

出典:ウィキペディア

 

あまりにも鶏がすごすぎて戦う気が起きない状態にさせる、まさに剣道の極意につながっています。そういう意図もあって武道の世界で使われておりおり、最近だと安倍首相が「未だ木鶏に足りえず」と発言されています。

 

剣道をしています、と職場で言うと「なんだか色々達観していて凄そう」と言われませんか?剣道を学んでいる身としては、周囲の環境に左右されない人格を持ちたい、と思いますが、そこは未だ木鶏に足りえず。

 

剣道には年齢に限界が来ないので死ぬまで学べる。生涯をかけて木鶏に成ることを目標にしていこうと思います。