稽古日誌

剣道は勝ち負けを意識してはいけない と言うが勝ち負けの上に成り立っているのだから意識しないと変になってしまうのではないだろうか

剣道の修練に励む理由は人格の形成にあり。つまり、素敵な人になるために剣道をしているのだから、剣道の勝ち負けは本筋にあらず。なので、特に学生を指導される指導者は、勝ち負け以上に剣道を通じて大事なことを育むべし。

 

という教えをよく頂きます。これ、本当に大事なことだと思います。強いけど粗暴な人は本当にタチが悪い。具体的なことは書きませんが、私が高校生の時、とある強豪校の選手からつばぜりあいでタンを吐きつけられたことがあります。それから、強い人と当たるのがすごい怖くなった苦い思い出があります。これは「武」じゃなくて、ただの「暴力」です。

 

力の扱い方とか、そういうのも含めて学べるのが剣道だと思うのですが、しかし一点だけ疑問が残ります。剣道はややもすると結果より過程を極端にフォーカスする傾向がないでしょうか?

 

 

 

勝ち負けを意識して何が悪い

そう思う理由が2つ。

 

 

1)勝ち負けがなければ剣道を楽しいと思えないのでは

例えば、小学校から剣道を始めた少年をイメージしてください。その少年は剣道形や胴打ちがかっこよくて剣道をはじめたかもしれません。

 

やがて、剣道を始めていけば試合に出ることがあります。試合で勝てば嬉しくなり、負ければ悔しくなって、いっそう稽古に励むと思います。

 

 

何が言いたいかと言うと。「剣道を楽しい」と思えるきっかけのほとんどは勝ち負けからきているのではないでしょうか?勝ち負けを繰り返すことで剣道の奥深さを知る様になるわけで、勝ち負けより先に剣道の奥深さに気づくことは難しいと思うんです。

 

 

2)したがって、勝ち負けがないと真剣になれない

と思うんです。行動が変わるきっかけって自分が「楽しい」と思って行っている先には中々無いんじゃないかな、と思っています。人の行動が変わるというのは難しいことで、勝ち負け、とくに負けを知ったからこそより真剣に剣道に向き合うと思っています。

 

 

まとめ

勝ち負けを意識させない風潮は、負け続けている子に対してのやさしさなのかもしれません。しかし、それは本質ではないような気がするんです。剣道を楽しいと思ってもらうためには、より剣道に向き合ってもらう。剣道に向き合ってもらうために勝ち負けを前提とする。

 

 

大事なのは、優しい言葉ではなくて、このあとどうすれば良いのか、それを一緒に考えていくのが指導者の大事な務めなんだと思います。