稽古日誌

剣道の攻めは「怖い」ではいけない、「苦しい」と思わせないといけないんだ

この画像もちゃんと意味がありますよ!

 

 

今回はとても感覚論になりますので、どこまでお伝えできるのかわかりませんが、やってみます。

 

これまでのわたしは、相手に攻め伝わった時「怖い!」と思わせることが攻めだと思っていました。「すぐに避けなきゃ!」と思わせるからこそ、相手の構えが崩れると考えていたからです。

 

 

しかし、「怖い!」と思わせなきゃいけないと思う気持ちは、竹刀の振りの速さで剣道をしているのではないかと気づき、はっとしました。高段者の方々、特に還暦を過ぎた先生方には、失礼かもしれませんが、先生方が竹刀の振りの速さで剣道をしているとは思えません。すると、わたしの理屈では、高段者の先生方は攻めが出来ていない、という理屈になっています。

 

 

 

 

ところで、最近のわたしは一足一刀の間合いから練って打突をすることに重きを置いています。今までのわたしは遠くから眺めて、なんとなく「ここだ!」と思うことで攻め込んで打つ、という剣道をしていましたが、今年のわたしの剣道のテーマは「脱 ご機嫌伺い剣道」。

 

 

自分の攻めが弱いことを自覚し、死線に入り込んでからの攻防を展開する。自分の足は動いているけど動かしている、自分の竹刀は動かしていないけど動かしている、と「静の中に動」があることがわかると、相手の圧力などを感じ取れるようになってきました。

 

 

すると、迂闊に打突が出来る訳もなく、一本を打つまでに時間がかかるようになってきました(もちろん、まだ未熟なものでただボーと立っているだけの時もありますが…)。

 

 

「怖い」を感じるのは突然・一瞬・刹那。つまり、「怖い」の言葉には瞬間を表す意味が含まれているような気がします。

 

一方、「苦しい」という表現には持続性の意味が含まれています。苦しいは突然やってくるものではなく、じわりじわりと感じるものであると認識しています。相手の死線に入り込み、せめぎあう時間がかかっていればそれは「怖い」よりも「苦しい」という表現の方がしっくりくるのが頷けます。

 

 

そもそもわたしは入り込んでからの攻めをしていなかったので「苦しい」と感じる前に「怖い」の感情が先にくることも納得。

 

 

思えば「剣道日本」や「剣道時代」で先生方の体験談で「怖い」と言う表現は使っておらず、「構えているだけで息が上がるような攻め」「真綿でじわりと首を絞められているような攻め」と「苦しい」を言い換えておられるのは、ここが理由なのかな、と思います。

 

 

まとめ  ~感性を磨こう~

わたしは、普段の仕事から感情より理屈で動いているタイプと理解一方、感性を参考にする働き方、生き方を身につければ幅が広がるな、と感じています。

 

 

剣道の究極は理屈と感性の融合。わたしが剣道を続けている理由に一つに日常で感性を磨く機会が無いから、というのもあります。

 

 

言葉にしかり、もっと感性を磨くことで自分を高めていきたいと思います。