稽古日誌

剣道で言う「乗る」とはどういうことかをしっかりと7段から教わってきた

わたしは今まで「乗る」とは、相手の竹刀のほんのわずか上空を取ることだと思っていたのですが、ちょっと違ったようです。

 

 

剣道で言う「乗る」のは剣先ではなく鎬で

という話は良く聞くと思います。自分の竹刀の左側(表鎬)を相手の竹刀に刷り込ませるようにすると相手の竹刀は中心から外れて、自分だけが中心を取れるという理屈。

 

 

えっ、それくらいで中心を取ったってことになるの?と思うくらい極小の中心の取り方だと思いますが、実際それくらいなんだと思います。そこが不安になって、刷り込むのをやりすぎて抑えになってしまい、自分の竹刀も中心を外している、ということが良くあります。

 

 

確かに理屈で考えればこういうことなんだと思います。

つい力で余分に抑えてしまって相手の中心は外れているけど自分の中心も外れている時がでてしまいます。現にこの間の稽古ではそこを突かれて小手をバシバシ打たれました。

 

 

加えて、そういう時はそもそも攻め勝てていないのに、相手の準備万端でこっちは不十分で仕掛けているので、いわば自爆しているんだな、と思っています。

 

 

 

鎬を上手く使うために右足を使う

では、その鎬はどれくらい使えればいいの?と疑問に思っていました。鎬を使って中心を取ろうとするとどうしても腕に力が入ってしまってそこを逆手に取られてしまっています。

 

 

それを7段の先生に相談したところ「足を使って乗るんだよ」と教わりました。つまり、腕ではなく右足を前に出すことで体も前に出る、その僅かな勢いを利用するんだよ、と教わりました。

 

 

そう考えれば、剣道の理屈にとても合い、腑に落ちました。剣道って力を加えるような不自然な流れを作らないって、特に本当の剣道を目指す時はすごい重要だと思うんです。いまのわたしは、張る・抑える・払うなど確かに自分から仕掛けて崩すことで攻めを体得しようとしています。しかし、時にそれが力任せになっていることが否めません。

 

 

最近、高段者の先生って本当にすごいな、と思わされるばかりです。

というのは、高段者の方って、抑えるや張るなど不自然な力の加わりのところを見逃さずに応じて一本にされるんですよね。理合いに適わないものは全て返されてしまうんですよね。

 

 

正直なところ、これまでは年齢が近しい人と剣道をする方が楽しかったのですが、最近はこういった理合いの剣道で打たれる楽しみもわかるようになってきました。すると、打たれるのも怖くなくなってきて、本当に最近ですが「ここで仕掛けてはいけない」「ここで仕掛けないと勝ち目が無い」というものがわかってきた気がします。

 

 

まとめ

剣道の究極である理合いの剣道を実践して剣道の本質にも勝負にもこだわっていきたい、と思っています。